| 【昭和47年 2月27日】 |
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浅間山荘事件当日、美術商の3代目として生まれる。
幼少より古い物を大切に扱う環境で育つ。
テレビっ子だった小学生時代、ブラウン管に映る代議士諸氏に強烈な印象を抱き、政治家を志望する。
東京目白の私立獨協中学・高等学校を卒業。
18歳より単身永田町へ秘書として政治修行に出る。獨協大学法学部卒業。
これより先、自由民主党を中心に保守政党の秘書として福祉・教育・地方自治の現場を経験。
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| 【平成 6年】 |
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学校法人職員として、教育の現場に全力投球!
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| 【平成 7年】 |
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長野パラリンピック聖火ランナーを務める。
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| 【平成 8年】 |
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古物営業許可証取得。家業の美術商を継承し、円高バブル後の中小企業経営の厳しさを痛感する。
この間も「政治への志」は代え難く、秘書として各級選挙、政策立案に参加。
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| 【平成10年】 |
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阪神・淡路大震災医療派遣員として現地で医療活動をサポート。都市型災害の恐ろしさをこの目で直視する。
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| 【平成14年】 |
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目黒区長選による目黒区議会議員補欠選挙に「無投票当選阻止」の為、無所属で出馬。
投票率20%弱という低投票率の中で 2,735票 を頂く。
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